東北の距離感を再定義する「新幹線+バス」の妙 #
東北の温泉地を巡る際、私は自分なりの「移動の哲学」を持っている。それは「新幹線駅からバスで1時間以内」という条件だ。小野川温泉は、まさにこの基準における理想解の一つと言える。山形新幹線の米沢駅からバスに揺られること約30分。福島駅からわずか一駅という心理的な近さも相まって、関東から訪れる旅人にとって小野川は、東北の中でも極めて「行きやすい部類」に属する。
しかし、その手軽なアクセスとは裏腹に、車窓から見える景色はまたたく間に変貌を遂げる。米沢市街地の穏やかな風景を抜け、山あいへと入るにつれ、積雪の深度は目に見えて増していく。辿り着いた温泉街では、家々の屋根から長く鋭いつららが地面に向かって伸び、視界のすべてが圧倒的な白に塗りつぶされていた。この「アクセスの容易さ」と「本格的な雪国情緒」のギャップこそが、私がこの地を二度訪れ、二度目には二泊を費やすほど強く惹かれた最大の理由である。
高台の宿『宝寿の湯』、孤立がもたらす「沼」の静寂 #
私が二度の訪問でいずれも選んだ宿は、温泉街を流れる大樽川を挟んだ向かい側、高台に位置する『宝寿の湯』である。多くの宿が軒を連ねる温泉街の中心部から物理的に距離を置き、橋を渡り坂を上った先に鎮座するこの宿は、宿泊客に心地よい「孤立感」を提供してくれる。温泉街の賑わいから切り離されたこの場所には、独自の静謐な空気が流れていた。
館内へ一歩足を踏み入れれば、そこは本好きにとっての「沼」であった。至る所に本棚が並び、かつての名著や少し黄ばんだ小説が静かに並ぶ書斎がある。雪景色の東北の旅館で、世間の喧騒を完全に遮断し、古い本のページをめくる。その時間はさながら、かつての文筆家が執筆のために人里離れた宿で「缶詰」になっているかのような、贅沢な錯覚を抱かせる。リーズナブルな価格帯でありながら、これほどまでに深い没入感のある休息が得られる場所は、そうそうあるものではない。
星空と雪景色を肴に、露天風呂から温泉街を俯瞰する #
『宝寿の湯』が誇る最大のご馳走は、高台という立地を最大限に活かした露天風呂からの展望だ。ほのかに硫黄が香る熱い湯に身を沈め、ふと顔を上げれば、そこには眼下に広がる小野川の温泉街が、雪のベールに包まれて光を放っている。夜になれば、澄み渡った冬の星空と、街の灯りに照らされた真っ白な積雪が、最高の「肴」となる。
頬を打つ刺すような冷気と、身体を芯から熱くさせる源泉。そして視界いっぱいに広がる静謐な夜景。有名な雪見露天の宿は予約が困難で、関東からは気が遠くなるほど遠い場所も多いが、小野川はそれらを軽やかに飛び越え、この絶景を独占させてくれる。一度目、一泊二日の滞在でその魅力に当てられた私は、二度目の訪問では迷わず二泊三日の行程を組み、この高台からの景色を飽きるまで眺め続けた。
温泉街の日常と、城下町・米沢の豊かな懐 #
宿の静寂と読書を十分に堪能した中日、私は意を決して高台を降り、雪道を歩いて温泉街へと足を運んだ。目的は、地元の人々に混じって熱い一杯を啜ることだ。温泉街にある『龍華食堂』で食した、名物の「豆もやしラーメン」。温泉熱を利用して育てられるシャキシャキとした豆もやしの食感と、湯気が立ち上る熱々のスープ。雪に囲まれた土地で育まれた滋味深い味わいは、冷えた身体に染み渡り、五感を呼び覚ましてくれる。
また、小野川温泉の魅力は温泉街の中だけに留まらない。拠点となる米沢駅周辺に繰り出せば、そこは歴史と美食の宝庫だ。上杉謙信公を祀る上杉神社などの史跡を巡り、城下町の風情に浸る。そして何より、本場・米沢牛という至高のグルメが旅を彩る。温泉での静かな「籠り」と、駅周辺での「観光・美食」を高いレベルで両立できるこの立地は、旅の満足度を何倍にも引き上げてくれる。
ただ、今振り返れば一つだけ心残りがある。当時の私はまだ温泉地での過ごし方に不慣れで、この素晴らしい温泉街にありながら、共同浴場「尼湯」の扉を叩くことも、他の旅館の湯を日帰り利用することもせず、宿の中だけで完結してしまっていたのだ。今ならば分かる。この雪深い街の、湯気に満ちた共同浴場に入ることこそが、真の小野川を知る行為であったはずだと。
総括:いつか果たされるべき、再訪という名の宿題 #
東北には数多の名湯があるが、小野川温泉ほど「雪」と「湯」と「距離」と「食」のバランスが完成された場所を他に知らない。新幹線を降りてわずか一時間後には、つららの下で熱い湯を享受し、本の海に没入し、豆もやしラーメンや米沢牛に舌鼓を打つことができる。
かつて果たせなかった「湯巡り」という宿題を残したまま、私はまたあの高台の書斎へと戻る日を夢見ている。当時の若さゆえの未練を抱えつつ、今度はより深く、あの雪深い温泉街の懐へと潜り込むために。二泊三日の「沼」は、今も私の中で深い雪に守られながら、次なる訪問を待っている。