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温泉巡りの原点となった素朴な湯と出会う──修善寺温泉(静岡県伊豆市)

静岡県の修善寺温泉は、伊豆半島の中でもとりわけ風情ある温泉街として知られている。だが、今回の記事は、観光ガイドに載るような洗練された紹介とは少し異なる。というのも、筆者が修善寺を訪れたのは、まだ温泉そのものに強い関心を持つ前のこと。言ってみれば、温泉との距離感がまだ掴めていなかった頃の体験だ。

目的も曖昧なまま、修善寺へ #

訪れたのがいつだったのかは、正確には覚えていない。ただ、西伊豆方面への旅行か、「修善寺 虹の郷」というテーマパークのついでだった可能性が高い。明確な目的地として修善寺温泉を選んだというより、旅程の一部として「なんとなく」立ち寄った場所だった。

筥湯で感じた戸惑い #

修善寺温泉には多くの旅館や温泉施設があるが、筆者が立ち寄ったのは共同浴場のひとつである「筥湯(はこゆ)」。モダンな木造建築が印象的な施設だが、当時の筆者にはその価値があまり理解できていなかった。というのも、旅先でキャリーカートを転がしていた筆者は、施設に入ってまず荷物の置き場に困った。鍵付きロッカーは限られ、共同浴場という性質上、大きな荷物を安全に保管できる設備は見当たらなかった。

正直、そのときは「失敗したかもしれない」とすら思った。これが大きな旅館であれば、チェックインして部屋に荷物を置いてから風呂に入れる。だが、共同浴場はそうはいかない。今思えば、旅人側の準備不足だったのだが、当時はその“素朴さ”に少しがっかりした自分がいた。

昭和の香りと地元の人々 #

浴室内の記憶は曖昧だが、印象として残っているのは「まさに地元民が通う共同浴場」といった雰囲気。手狭で、飾り気がなく、観光客向けというよりも生活の一部としての温泉だった。その頃の筆者はまだ「温泉とは旅館に泊まって入るもの」という固定観念を持っていたため、良さがわからなかった。

しかし、のちに各地の温泉地を巡るようになってからは、このとき感じた“素朴さ”こそが共同浴場の魅力だったのだと気づかされる。飾らない建物、地元の人の話し声、無造作に置かれた桶や椅子——そうした全てが、温泉文化の根っこにある「日常としての湯」に他ならなかった。

観光地としての修善寺の顔 #

もちろん、温泉だけではなく、修善寺の町並み自体も魅力的だった。例えば、入浴はできないものの歴史的な湯「独鈷の湯」を川沿いに眺めたり、竹林の小径を歩いたりと、散策に事欠かない。観光客も多く、賑わいの中にもしっとりとした風情が感じられる街だった。

この時点では、温泉むすめの存在も知らず、温泉そのものへの関心も今ほどではなかったが、結果的にこの体験が、後に温泉巡りにのめり込むきっかけのひとつになったのかもしれない。

温泉ビギナー時代の大切な1ページ #

今振り返れば、修善寺温泉と筥湯での体験は、自分の温泉人生における“プロローグ”のようなものだった。旅行時の荷物の持ち方ひとつをとっても、学びがあったし、温泉地で何を楽しむべきかという視点も、この時の経験があったからこそ育まれたように思う。

当時は何気なく立ち寄った場所。しかし今となっては、あの曖昧さこそが、後に続く多くの温泉旅の出発点だった。