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東尋坊にほど近い再出発の湯——あわら温泉(福井県あわら市)

·1727 文字·4 分

石川県の山中温泉、山代温泉と名湯を巡る北陸の旅。その締めくくりとして私が向かったのは、福井県屈指の名湯、あわら温泉だった。

かつて東尋坊を観光で訪れた際、旅の行程の都合であわら温泉に寄る時間が取れず、素通りしてしまったことがある。温泉マニアを自認する私にとって、その時の「心残り」は長年喉に刺さった小骨のように消えないままだった。今回の旅は、まさにそのリベンジを果たすための「踏破」の旅でもあった。

避けては通れない、再出発の現場
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目的地に選んだのは、街のシンボル的な日帰り入浴施設『セントピアあわら』だ。しかし、この時の私の心境は、純粋な期待だけではなかった。この施設は当時、レジオネラ菌の検出による営業停止という、温泉施設にとって最も重い「負の過去」を経て、ようやく営業を再開したばかりのタイミングだったからだ。

正直に言えば、訪問には少しばかりの嫌な思い、あるいは躊躇いがあった。だが、全国の温泉地を巡り、その現状をこの目で確かめることを信条としている身としては、ここは避けては通れない関門だった。温泉地巡りという「踏破」の目的がある以上、今のあわら温泉を素通りすることはできなかったのである。

天の湯に差し込む光と、複雑な香り
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私が利用したのは、男女入れ替え制の「天の湯」だった。浴室に入ってまず目を引いたのは、その圧倒的な開放感だ。天井が非常に高く、天窓からは明るい日差しがたっぷりと差し込んでいる。山代温泉の古総湯で見せた「明治の薄暗い幻想」とは対照的な、現代的で清潔感のある空間がそこにはあった。

再開直後ということもあり、館内は隅々まで磨き上げられ、清潔感に溢れていた。しかし、内湯に足を踏み入れた瞬間、私の鼻が捉えたのは、あわら温泉本来の源泉の香りではなく、微かな「消毒臭」だった。

それは、施設側が二度と過ちを繰り返さないために、徹底して衛生管理を行っている証左でもあるのだろう。だが、再開直後というタイミングと自分自身の先入観も手伝ってか、その塩素の香りは、温泉本来の個性を覆い隠してしまっているように感じられ、マニアとしては複雑な心境にならざるを得なかった。

ゆず湯の彩りと、「なんだかなぁ」の正体
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ちょうどこの日はイベントが開催されており、内湯には数十個のゆずがバラバラと浮かんでいた。陽光に照らされた黄色いゆずは美しく、季節感を演出していたが、そのゆずの香りと鼻をつく消毒臭が混ざり合う空間に身を置いていると、何とも言えない「なんだかなぁ」という思いが込み上げてきた。

ゆずを浮かべて華やかさを出し、客を呼び戻そうとする施設の努力は痛いほど伝わってくる。しかし、衛生面を意識しすぎるあまり、お湯が持っていたはずの「鮮度」や「野趣」が、どこか遠くに追いやられている気がしてならなかった。天窓からの光はどこまでも明るいのに、私の心には冷めた感情が同居していた。ようやく叶ったリベンジの舞台で私が出会ったのは、名湯の誇りというよりは、再起に向けて神経を尖らせている現場の「硬さ」だった。

踏破というリベンジの結末
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内湯と外湯の両方を巡り、あわらの空気に当たりながら、私はこの旅の締めくくりを反芻していた。山中や山代で感じた、街そのものが温泉と一体化しているような情緒。それらと比較すると、今回のあわらでの体験は、少しばかり後味が複雑なものとなった。

もちろん、施設側に落ち度はない。むしろ一度失った信頼を取り戻すために、徹底した管理を行い、イベントで盛り上げようとする姿勢は、公共施設として正しい姿だ。ただ、負の過去を知り、その直後に訪問してしまったマニアの視点からすれば、その「正しさ」こそが、かえって居心地の悪さを感じさせてしまったのだ。

「あわら温泉、踏破」。

その目的は果たした。長年の心残りの小骨は、確かに抜けた。だが、手放しの喜びはそこにはなかった。これもまた、各地の温泉を巡り、その土地の歴史や事情を含めて味わう「温泉地巡り」という旅の、偽らざるリアルな一場面なのだろう。

セントピアあわらの天窓から見えた眩しい空。あの光が、いつか過剰な消毒臭を必要としないほどの揺るぎない「信頼」となって、この街の湯を包む日が来ることを願わずにはいられない。

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